
株式会社いなほコンサルティング
代表取締役 笠原秀紀
経営コンサルタント/中小企業診断士 /AI活用・資金調達コンサルタント
こんにちは、代表の笠原です。
私たちのサイトを訪れてくださり、ありがとうございます。
ここでは、堅苦しい会社案内ではなく、僕の仕事の原点をお話ししたいと思います。
僕がどんな人間で、どんな出会いと失敗をしてきたのか。
その、ちょっと泥臭い物語が、私たちの会社の自己紹介です。
どうぞ、少しだけお付き合いください。
私たちのビジョン
私たちは、クライアントのビジョン=願い・志の実現に、情熱をもって伴走します。
経営者一人ひとりの大切な『熱量』を原動力に、AIなどの先進技術を駆使して、その企業だからこそ実現できるオーダーメイドの変革と成長をデザインすること。
そして、その成功が次なる希望の環となり、持続可能な社会の実現に貢献すること。
それが、私たちの使命です。
会社概要
会社名 | 株式会社いなほコンサルティング |
所在地 | 〒194-0212 東京都町田市小山町4089-1 |
設立年月日 | 2015年3月23日 |
代表者名 | 笠原秀紀 (Kasahara Hidenori) |
事業内容 | 戦略的資金調達、AI活用経営、GX/サステイナビリティ経営、その他 |
連絡先 | 電話:042-774-4724 email: inacon@inaho-x.com |
URL | https://inacon-x.com/ |
インボイス登録番号 | T4012301010037 |
代表挨拶に代えて。僕の失敗と出会い、そして創造の物語。
はじめに:僕の原点は、ある教授の悲痛な叫びだった
こんにちは。代表の笠原です。
僕がなぜこの仕事をしているのか。その話をさせてください。
大学を卒業し、技術コンサルタントとして独立したばかりの頃。僕の人生を根底から揺さぶる出来事がありました。
1993年、群馬県高崎市で偶然立ち寄った講演会です。
壇上である教授が、悲痛な表情で訴えていました。
「オゾン層の破壊が進み、未来の子供たちの生活が危ない。その原因であるフロンガスは日本では野放しだ。誰か助けてくれ、SOSだ!」
頭をガツンと殴られたような衝撃でした。
このままでは、未来の子供たちが大変なことになる。理屈じゃない、「なんとかしなきゃ」という強い想いが、腹の底から突き上げてきたのです。「美しい地球を子供たちに残したい」と。
そして、運命とは不思議なものです。
同じ会場で、僕と同じように目を真っ赤にして教授の話に聞き入っていた男性がいました。
山田和尚さん。後に僕の事業の師匠となり、共に無謀な旅に出ることになる、大切な仲間との出会いでした。
第1章:うそつきと呼ばれて。想いだけを握りしめた全国行脚
「フロン回収を日本中に広めるぞ!」
山田さんと僕は「プロジェクト・キャラバン隊」を結成。しかし、僕らにあったのは燃えるような想いだけ。知識もノウハウも資金もない、完全な素人集団です。
「無料で講演します!フロン回収の実演をします!」
そう叫びながら全国を駆け回りましたが、現実は甘くありませんでした。
「そんな話、聞いたことがない」「うそだろ!」
返ってくるのは、冷たい言葉と疑いの眼差しばかり。
当時のフロン回収機は性能が悪く、「こんなもの使い物にならない」と言われることも日常茶飯事。ならばと、自分たちで「誰でも簡単に、高効率で回収できる機械」を開発し、それを携えて、来る日も来る日も講演を続けました。
心が折れそうな毎日でした。それでも、僕らは淡々と、歩き続けました。
すると数ヶ月後、ポツリ、ポツリ・・・
第2章:成功の頂点で天狗になった僕が、すべてを失った日
活活動開始から半年後、愛知県安城市で僕らの活動が初めて「事業」として実を結びます。
これをきっかけにメディアが取り上げてくれると、堰を切ったように全国から声がかかり、事業はあっという間に数十ヶ所に拡大。ついには国(当時の通産省)からも声がかかるほどの、大きなムーブメントになりました。
正直に告白します。この頃の僕は、完全に天狗になっていました。
「俺たちは、すごいことをやっているんだ!」と。
フロン回収の次なるステップとして、生産から無害化までを一貫管理する壮大なプロジェクトを立ち上げました。大手企業や行政も巻き込み、「日本発の世界モデルを創るんだ!」と、成功しか見えていませんでした。
しかし、ある日突然、奈落の底に突き落とされます。
今まで協力してくれていた企業や自治体と、一切連絡が取れなくなったのです。裏で行政機関から「あの団体とは関わるな」という通達が回っていたようでした。
あれだけ燃え上がっていたプロジェクトは空中分解。チームは離散し、僕は業界から完全に孤立しました。
「なぜだ!俺たちは世のため人のためにやってるのに!」
怒りと不満の中で、すべてを他人のせいにしていました。本当に未熟だったんです。
第3章:どん底で気づいたこと。「手柄はすべて渡す」と決めた再起
プロジェクトが失敗して5年後。
テレビで東海地方の豪雨災害のニュースを見ていました。水没し、廃棄される大量の車…。その瞬間、僕は気づきました。
「あの車にもフロンが…。もう一度、挑戦できるチャンスかもしれない」
同時に、5年前の失敗がフラッシュバックします。
「本当に、自分たちに落ち度はなかったのか?」
師匠の山田さんからのアドバイスもあり、僕は初めて自分自身と向き合いました。
…思い当たる節だらけでした。
「俺たちが世界モデルを創ってやる!」というヒーロー気取り。自分たちが中心で、相手のメンツや感情を全く考えていなかったおごり。僕らの「自分が、自分が」という想いが、周りの人たちの心を閉ざしていたのです。
「このままじゃダメだ・・・この想いは捨てよう。」
そう決心しました。
企画も、技術も、実行も、やれることはすべてやる。
でも、「成果も手柄も、すべて協力してくれた人たちに渡そう」と。
僕の願いはただ一つ、「フロンの放出を止めて、1ミリでも地球環境を良くすること」。
その原点に立ち返った時、不思議なことが起きました。
以前は壁となっていた政治家や官庁、大企業が、今度は「協働メンバー」として力を貸してくれたのです。
多くの人の協力で、世界初のフロン分解無害化設備が完成。5年前に夢見た以上の、社会全体を巻き込む大きな成果へと結実しました。
この成功を見てくださっていた当時の高知大学学長、立川涼先生から「ダイオキシン対策のJapanモデルを創ってほしい」とご依頼をいただくなど、僕たちの活動は新たな広がりを見せていきました。
第4章:長いスランプと、「わかったふり」をしていた自分
周りからは順風満帆に見えていたかもしれません。しかし2002年頃から、僕はパタッと「はじけなく」なりました。何をしても、以前のような結果が出ない。長い、暗いトンネルに入ってしまったのです。
焦った僕は、中小企業診断士やMBAなど、手当たり次第に資格を取りました。経営知識は昔より格段に増えました。でも、ダメなんです。心が、燃えない。
ある日、過去の自分を振り返っていて、ハッとしました。
「俺はいつの間にか、”ノウハウとして”ビジョンを創れるようになってしまっていたんだ」と。
「世のため人のため」と言えば、人は感動する。そんな計算が、無意識に働いていたのです。
でも、それは僕の「本心」ではなかった。いくら立派な言葉を並べても、自分の内側から力が湧いてこないのは当然でした。
「もう、わかったふりをするのはやめよう」
僕は10年以上も、「わかったふり」をしてきたのです。
わからない時は、わからないままでいい。一つ一つの出会いの前で、「自分は、本当は何がしたいんだろう?」とゼロから心に問いかけることにしました。
不思議なことに、そう決めたら、周りにたくさんの仲間が集まってくれるようになりました。この長いスランプから僕を救ってくれたのも、そんな仲間たちの存在でした。
第5章:僕を創った「自己変革」の旅路
数々の成功と、それ以上の手痛い失敗。
そのすべてを経験して、僕のコンサルティングの核となる「Core3(「Vision」「自己変革」「チームデザイン」)」という哲学が生まれました。
その中でも最も重要な「自己変革」。その源流には、僕自身の長い探求の旅があります。
すべての始まりは、この一冊の本でした。


プロ野球、読売巨人軍のV9を成し遂げた名監督、川上哲治先生の著書です。そこに書かれた「限界突破の核心は『変わること』」という言葉に雷に打たれ、僕は川上先生の本を読み漁りました。
そして、その教えの源が、梶浦逸外(かじうらいつがい)老師という禅僧にあると知り、今度はその方の本を探し求めました。


「やって、やって、やり抜いて、それでも越えられない壁。そこからが始まりだ」「窮して変じ、変じて通ず(きゅうしてへんじ、へんじてつうず)」。
この言葉に「これだ!」と確信した僕は、いてもたってもいられず、梶浦老師がおられた修行道場「正眼寺」に電話をかけました。
「修行させてください!」
「……どこの馬の骨ともわからない人を受け入れるわけにはいきません」
即答でした。完璧なお断りの言葉に、僕はその場で泣き崩れ、倒れるように寝込んでしまいました。夏休みの、ある日のことです。
諦めきれなかった僕は、青春18きっぷを握りしめ、京都の大徳寺へ。そこで前田昌通住職に話を聞いていただき、埼玉県の平林寺で最高指導者を務められた柳瀬有禅(やなせゆうぜん)老師という、とてつもない方にご紹介いただくという幸運に恵まれました。
柳瀬老師の禅堂に住み込み、大学に通う生活。体の細胞が「ここが自分のいるべき場所だ」と騒いでいるようでした。
数ヶ月後、老師は僕に尋ねました。「この先どうするか決まりましたか」と。
「はい。僕は山を下ります。大学に戻り、僕の願いを果たしたいと思います」
老師は「それでよいと思います」と、一冊の本を渡してくださいました。


エピローグ:僕を創った旅路と、変革の羅針盤「Core3」「VMS」
うそつきと呼ばれた全国行脚。天狗になって味わった手痛い失敗。長いスランプと、「わかったふり」をしていた自分との決別…。
僕の人生は、お世辞にもスマートとは言えません。しかし、そのすべての経験が一本の線として繋がり、僕という人間、そしてこの会社の核となる哲学を創り上げてくれました。
その旅路の始まりは、一冊の本との出会いでした。
V9を成し遂げた川上哲治監督の「変わること」の哲学に衝撃を受け、その源流である梶浦逸外老師、柳瀬有禅老師といった偉大な師の教えを、僕は夢中で追い求めました。お寺に電話しては泣き崩れ、禅堂に住み込みながら、僕は「自己変革」という思想の土台を必死で築き上げていったのです。
しかし、大きな壁がありました。
熱い想いや思想はあっても、それを誰もが実践できる「具体的なプログラム」が、僕の中にはなかったのです。
その最後の、そして最も重要なピースを埋めてくれたのが、僕にとって4人目の師となる、高橋佳子先生でした。
先生のすごいところは、僕が出会った師方の中で唯一、その崇高な哲学を、誰もが実践できる完成された「実践プログラム」として提示されていたことです。先生のもとには、政治、医療、経営など各界のプロフェッショナル達が、その確かな方法論を学ぶために集まっていました。
高橋先生のすごいところは、僕が出会った先生方の中で唯一、その「自己変革」を誰もが実践できる完成されたプログラムとして提示されていたことです。先生のもとには、政治家、科学者、医者、教育者、経営者、法曹など、各界のプロフェッショナル達が、その教えを請うために集まっていました。


川上先生、梶浦老師、柳瀬老師、そして高橋先生へと(から)受け継がれてきた「自己変革」の思想と実践。それは、人類共通の「真の成功哲学」なのだと、僕は実感しています。
この出会いによって、僕が人生をかけて追い求めてきた思想は、ようやく確かな輪郭を持ち、誰かのために役立てられる力強いツールへと昇華したのです。
この僕のすべての経験と、師たちからの学びを結集させた経営の真髄、それが弊社の哲学「Core3」です。
- 【Vision】 すべての始まりとなる「願い」
- 【自己変革】 すべてを好転させる力
- 【チームデザイン】 一人の力を超えるムーブメント


そして、この「Core3」という僕の人生を懸けた哲学を、誰もが実践できる具体的な「変革の羅針盤」として体系化したものが、「VMSプログラム(Vision Management System)」です。
人は誰でも発展途上です。壁にぶつかり、悩み、苦しみます。
でも、誰もが「自分が変われば、想像もできない未来が開かれる」可能性を秘めている。そして、「人は変わることができる」。
僕の願いは、シンプルです。
「変わりたい」と本気で願う経営者と組織に寄り添いたい。
過去の僕のように、一人で悩み、壁にぶつかっている人の、最高の伴走者でありたい。
そして、クライアントの皆さんと一緒に、「この人生で、この事業で本当によかった」と心から思える未来を開いていくこと。
それが、僕がこの会社で成し遂げたい、たった一つの願いです。